クボイカズヨシのささやきブログ

いなかの治療院革命

久保井家のお話

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こんばんは。くぼいです。


今日は、僕の家族についてのささやきです。
いたって平凡な家族ですが、最後まで読んでいただければと思います。

 

僕は父親と母親と弟の4人家族です。

両親共に京都市ですが、
僕が生まれた時には父親の仕事で京都府亀岡市に移り住んでいました。
なので僕は、高校卒業後まで亀岡で過ごしました。

京都市内の方から言うと「亀人」といわれる言わば「田舎者」です。

「亀岡は電車ないんやろ?」
「亀岡って霧がすごくて前見えないんやろ?」
などなど、亀岡出身だと言うと、よくからかわれました。

ですが、なんというか生活しやすく自然も豊富で僕は大好きでした。

嫌なことと言えばヤンキーがめちゃくちゃ多い。
あと虫。

夜、自転車で走ると目、鼻、口に入ってくるあの細かい虫。
あれも嫌でしたね。

ヤンキーと虫はさておき、

家族のお話ですね。

 

父親は勝気でとにかく厳しい人で、小さな頃からとても怖かったです。

自営業をしていたのですが、
業者や従業員、母親に怒鳴ったりキレているのをよく見ましたね。
長男の僕には特に厳しく、よく怒られていたのを覚えています。
とにかく父親の顔色を伺いながら過ごしていました。


なので父親と会話する事は少なかったです。
でもなぜか、23歳頃を境によく話すようになり今でもとてもよく話します。

 

母親は物静かで心配性で優しい人でした。
父親とはしゅっちゅう夫婦喧嘩をしていましたが、僕と弟にはほとんど怒った事はなく、
人見知りというか、ネガティブな面もありどちらかというと僕は母親に似ているのだと思います。

 

父親と母親は1日中仕事も一緒だったので本当によく夫婦喧嘩をしてました。

僕はそれがすごい嫌で嫌で、

みんなでご飯を食べる夕食中の喧嘩がもう最悪でしたね。
食べた気もしませんし、なにより味もわかりません。

それが今でもトラウマになり、
「絶対俺は夫婦で同じ仕事はしない!」と誓いました。
どうでもいいですね。

7年前、父親の仕事が倒産危機になり、
お金の大切さを本当に実感しました。
この時はショックやストレスで父親も母親も抜け殻のようになっていました。

この当時、僕は開業していたのですが

僕も生活はギリギリでした。
当然、お金の工面などできず、両親を助けたくても僕には何も出来ませんでした。

 

「お金がないと家族も助けられない」

「もう2度とこんな思いはしたくない」

心の底から思いました。

 

当時の僕にはわかりませんでしたが、今思えば、両親が自分達の生活もままならないのに、
あんなに必死で仕事をしていたのも
家族の為なんだとつくづく思います。

 

そんな両親には頭が上がらないし、尊敬しています。

 

最後に弟です。
2才離れているのですが僕と全く似ていません。
今まで誰が見ても全然似てないなぁーって言われます。
昔から喧嘩は当然あり、仲良いときもありましたが今はここ何年もずっと仲が悪いです。
同じ柔道整復師なのですが、仲は悪いです。

歳をとるにつれまた仲良くなるのではないかと思っていますが。。


と、まぁいたって平凡な久保井家のお話でした。

 

クボイカズヨシ

 

 

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